1998年春

入院三週目

Mon Tue Wed Thu Fri Sat Sun
交7     ルx     --
交=血漿交換  ル=ルンバール

超重量級サンドイッチ?

3週目に入る頃、もうベッド上ではほぼ自由に動けるようになっていた。
手先は相変わらずグラグラではあるが、食事介助をしてもらうのもなんだか申し訳ないくらいになってきたので、ナースさんが来るのを待つことなく、昼食に出されたサンドイッチを動かない指のあいだになんとか挟み込んで持ち上げてみる。 たかがサンドイッチ一切れの重さでガクンと手首が垂れ下がるがとりあえず持てている。テーブルにひじをつき、指の間からぶら下がったサンドイッチを口で迎えに行ってモグモグ・・・ 格好よいものではないが、ここは病室。気にすることなし(笑)
少しずつでも自分でできることを増やしたかった。たとえちょっとしたことでも、何かをする度に誰かを呼ばないとならないというのは結構辛いもんです。
箸はもちろん無理、フォークやスプーンも普通のものは重くてまだ使えないが、リハビリ用の軽いものを用意してくれたのでパンの袋を破ったりヨーグルトの蓋をとってもらったりの多少の手助けだけしてもらえれば、食事も自分で出来る様になった。
そしてその頃から食事はほぼ完食するようになった。要するに「食べさせてもらう」のが嫌だっただけのようだ(笑)

ルンバール事件その2

週前半、回診の際に「ちょっと立ってみようか」ということになった。
そっと床に足をついてみるものの、お尻をベッドから離すのにものすごく勇気がいる。 地に足を下ろさなかったのはたった2週間ほどの間なのに。
ベッドから離れた途端、膝から崩れそうで本当に怖かったのだが、先生方もしっかりサポートするからと言って下さったので、エイッとばかりにやってみると意外にアッサリ立ててしまった。ひざが笑ったような違和感はあるが、結構ちゃんと立てている。ベッドから車椅子へ移ることも全く問題なくできるようになっていた。

この頃、血漿交換も7回目を迎え、終了。
鎖骨付近の管も無事抜いた。「これいる?持って帰るならきれいに洗ってきてあげるよ(笑)」と冗談半分に先生が仰ったが、「結構です(笑)」と丁重にお断りしておいた。(持って帰って壁にでも・・・・・・飾らないしっ!!それ以前に持ち出し可なの?(='m'))

週半ば、ルンバールを行うことに。そしてまたさんざん苦労して5回も針を刺した(つまり5回も激痛に耐えた)挙句、
「もう無理、あきらめよう。これ以上やると可哀想だよ」(か・・・かわいそうって・・・かわいそうになるようなことしないで・・・ (T_T) )
というわけでルンバール失敗。来週早々にやりなおすことになりました(;´д`)トホホ

リハビリ室へ

ベッドから出られるとなるとリハビリもベッド上ではなくリハビリ室へ行くことになる。
助手さんが迎えに来てくれたが、どうやらリハビリ室に連れて行く時間が重なってしまったらしい。助手さんは他に手を頼めるか探すつもりだったらしいのだが、「じゃ私自分で行きます」
ナースステーション前で一応了解をもらって、助手さんはもう一人の方の車椅子を押して私は自分で車椅子をこいでという具合に一緒にリハビリ室まで移動。まだ握力は出ないので手のひらを使ってではあるが、特に問題なくリハビリ室前の待合に到着。
リハビリ室の前の廊下を進んでいると、向こうの方でちょうど作業療法の先生が部屋から出ていらっしゃるところが見えた。先生も私に気づいて、一瞬動きが止まった次の瞬間・・・奥の運動療法の部屋に先生を呼びに走っていた。
「T先生〜〜〜!○○さんが自分で車椅子こいできてるうぅぅぅぅぅ!!」 という声が聞こえてきた。
「え゛」という様子で部屋から顔を出す先生。
リハビリは週末をはさむと4日くらいは平気で間が開いてしまうので、前回会った私はベッドに張り付き中、おとなしく車椅子を押してもらってくるのがせいぜいだと想像しておられたのでしょう。自分で車椅子こいでいる姿を見てビックリするのはある意味当然。後々までこの先生から「驚異的な回復力」と言われる所以はここにあるのかも。

専用機

車椅子1台が「専用機」としてあてがわれ、「移動はこれでヨロシク」とフロア内移動解禁。
そうなってくると、そろそろ「ちょっと歩いてみようか」と言われたりするわけで。
どこにもつかまらずに歩くのはどうかな?とは思ったものの、トボトボと歩けてしまった。
「でもまだ移動は車椅子でね」ということではあったが、間もなく部屋の中はへーきで歩き回れるように。

週後半に入り廊下をヨイショヨイショと車椅子をこいでいたら、ナースさんが 「あ、歩けるんだったらフロア内歩いてもいいって先生言ってたよ」 と声をかけてくれまして、「やったぁ」と飛び降りるように車椅子から立ち上がるワタクシ。元気な頃から腕の力は強い方ではなかった(逆上がりできません・・・)ので、車椅子って結構疲れる。実はすでに歩きの方がちょっとは楽になっていた。
こうしてついにフロア内は完全解禁となり、そしてそれからまた間もなく「階段は使わずエレベーター移動」という条件付ではあったがトントン拍子に館内移動解禁となった。

館内を歩き回ることができるようになったものの、ふくらはぎに足がつったときのような痛みがあった。かなり以前アキレス腱断裂の手術をしたのだが、「手術した後のつっぱるぅぅぅっていう感じの痛さ?」と仰る先生の言葉、まさにその通り。
また、なんだかんだいっても病棟のフロア内は行き交う人も少なく、床も比較的フラットで足の痛みという点を除けば移動に特に問題はない。しかし外来もある下の階に行くと、人も多いしかまわずタッタカすり抜けていく人もいるので多少怖い感じがある。
そういうこともあり、歩く時に空の車椅子を押して歩くことが多かった。疲れたら乗れるからというのと、歩行器ほどは頼る必要はなかったものの軽く車椅子の押手を持っている方が安心して歩いていられたからでもあった。
しかし、ある日その姿を見て主治医#1が「車椅子なんて押してないでタッタカ歩きなさいな(キッパリ)」と仰った。「歩き始めてまだ何日目かデスヨ・・・スパルタですね〜」と思ったのは言うまでもない。

手の方はといえば字を書こうとしても筆圧が出ないという感じではあったが、普通のスプーンやフォークは問題なく使えるようになっていた。

「出所」決まる

週の終り、「退院」の話が出た。
とっくに症状のピークは過ぎているわけだし、だいぶ動き回れるようになってもいる。退院の話が出て当然といえば当然なのかも。もちろん手足の腱反射や筋力は完全にもどったわけではないが、ここから先は入院加療でどうこうなるものでもないわけで、「日常生活に大きな支障がなさそうならば退院してもよい」とのことだった。
しかし、当の本人は「退院」となると不安の方が大きかった。いきなり体が動かなくなったショックもまだ残っているし、体の動きも完全ではないまま「シャバ」に出ることへの不安。館内を動きまわれるくらいの自由があれば、病院というところは意外と居心地がいいところだったのかもしれない(笑)
とはいえ、やはり家には帰りたいもの、さっさと退院することにした。「もういつでもいいよ」とのことだったが、一応退院への心の準備期間を自分で勝手に設けて翌週の半ば過ぎに一応退院日を設定してもらった。


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