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| 入院 | ル/交1 | 交2 | 交3 | -- |
長い長い夜が明け、気づいてみればすでに自力では起き上がれなくなっていて、時々寝返りをうつのが精一杯に。
そして、ウトウトとはしていたもののやはりよく眠れなかったので、同室の方々にご挨拶することも出来ぬまま半分目を閉じただただボ〜〜〜〜ッ。
しかし、朝食の時間も過ぎ病院が動き出すとバタバタと事が運んで行き、もう何がなにやら。
ルンバール初体験。痛いというより、体勢が苦しい。
そして気づいたときにはすでに治療方針が決定していて、鎖骨あたりにわけのわからない長い管を通され縫い付けられていた。
どうやらすでに家族と治療方針についての話がされていたようでして・・・ま〜私としては治ればよいので、勝手に決めてもらっても別にいいんですけど。
一応本人にも説明があったが、自分の今の状況をも理解できない状況でそのような判断はできない・・・というよりしようとも思わず、家族と話が進んでいるのをいいことにすっかりお任せにしてしまったというのが本当のところかも。
結局、その管は血漿交換のときに血液を通す管であったのだけれど、普段は何に繋がっているわけでもなく、ただ鎖骨付近からニョキっと管が生えている状態・・・う〜んなんじゃこりゃ・・・。
管を通す処置が終わった時、レントゲンできちんと通っているか確認していたから、管を通すのもなにやら難しいことらしい。
そして早速この日が血漿交換1回目となった。
透析室に入るのも初めてだし、もう自分の状態も「わけわからん!」なのに次から次へといろんな事が起こりまくるので、もうどうにでもしてモード、思考停止状態に突入。 その日食事したのかさえもう記憶に残っていない。
これは後日聞いた話だが、家族は「入院最低3ヶ月は覚悟して欲しい」というようなことを言われていたらしい。
入院2〜3日で急速に症状は進み、自由に動かせるのは首から上だけといってもいいくらいに。
ひざを立てたり、腕を顔の方に持ってきたりなどということは全くできなくなってしまった。
食欲も全くなし。数口入れてもらうと「すみません。もういいです」となってしまった。
「動かないからおなか空かないみたいです」と言っていたのだが、いつも忙しそうに動き回っているナースさん相手にゆっくり食事する気にもならなかったというのが正直なところ。もちろん、ゆっくり食べていてもいやな顔をされるわけではないのだ。ナースさんには「え?もういいの?断食ダイエット合宿並だね〜」と笑われた。
腹筋もかなり弱くなっているのか、咳をするのも困難になった。(咳をするのってこんなに力を使うものだということをこの時初めて実感した)もともと鼻炎持ちで痰がからみやすいヒトなので、これは非常にキツかった。
ある夜、うまく咳ができずに息ができなくなり「パニック」。大部屋から臨時に処置室に移動。
もう寝返りもうてないが、鼻炎も肥厚性なので上向きで寝ていると息が苦しくなるのに加えて、これまた腰があまりよくないためかしょっちゅう寝返りをうっていないと腰からしたがムズムズしてじっとしていられなくなる。
度々向きを変えて欲しいとナースコールをしたものだから、ついには「もういいかげんにして!忙しいんだから!!」とのお言葉を頂戴した。
この頃ナースコールのボタンを押すのも一苦労の状態だったので、限界まで我慢して申し訳ないとは思いつつコールしているつもりではあった。ナースさんが忙しいのはわかっているのですよ・・・。このときほど「付き添ってくれる家族」がいてくれたらと思ったことはないかも。
そうやって怒られてしまったのでナースコールをすることもできなくなり、ムズムズしてくるとなんとか動く腰をユッサユッサさせて(金魚運動さながらw)なんとかしのぐ方法を覚えた。末端の部分から動かなくなっていく病気なので、身体の真ん中辺りはまだ多少動かせるのだ。
じっとしているよりは多少は楽なのだが、いっそのこと感覚や意識もなくなってくれた方が楽なのではとさえ思った。
しかし、そうやって一晩中ず〜〜っとベッドがミシミシいっていたというわけで、さぞうるさかったことかと(* ̄m ̄) ププッ
個室が空いたので、処置室から移動することになった。
この頃は完全に「だるまさん」状態。一度手足を置いてもらったら、そこから微動だにできない。手もグーになったまま。
ベッタリ上向きで寝ていると息苦しくなるので、ある日ベッドを少し起こしておいてもらった。
しかし、それもだんだん辛くなってきておしりの位置を変えたいのだが、ナースコールを押すのもためらわれる・・・。
そこでまた例の調子でちょっとユサッとしてみたら、()゜ロ゜)」ナント上半身が右横に倒れこんでしまった。ちょうど「きをつけ」をしたまま右に大きくかしいだような体勢。ベッドには「柵」があるので転落はないものの、かなり辛い。なんとかしようとは思うものの、すでに腕の力も体を支えられるほどはなく、自分で体勢を立て直すほどの力はもうどこにもない・・・。ナースコールのボタンも届かない。
ピッタリと閉じたドアの外からバタバタと忙しそうに歩き回る足音が聞こえてくる。誰か気づいてくれないかと「すみませ〜ん」と呼んでみる。
本人は大きい声を出したいのだが、やはり腹筋のせいかつぶやくような声しか出ていない。これじゃ聞こえるわけないとは思ったのだが、誰か一人ぐらい気づいてくれないものかと何度か繰り返してみる。
どのくらいの時間が経ったか・・・声を出すのもつらくなってきて、もういつか誰かが用事ででも入ってきてくれるのを待つしかないかとあきらめる。
しかし、こういう時に限ってなかなか人は入ってこないもので、どうすることもできないままついにはボロボロ涙が出てきた。
体勢の辛さもあるが、全くの別世界に置き去りにされた気分でもあったかな。
外では廊下を行き交う足音がバタバタ聞こえるのに・・・。
もう一度やってみようと、泣きながら「すみませ〜ん」と何度か声を出してみる。すると、やっと異変に気づいてくれた人がいた。 なんと、各部屋のゴミを回収したり掃除をしたりしてくださる業者の方・・・( ‥) ン?てな感じでドアをちょっと開けて覗いてくれた。
上半身ベッドからはみ出したまま、ボロボロ泣いている姿を見て「まぁ!たいへん!!どうしたの〜!」
「呼んでも誰も気づいてくれなくて・・・」と言う私に「今呼んでくるから待ってて!」と言い残して部屋を飛び出して行った。
救いの神現る・・・後光が射しておりました・・・感謝しております。
主治医グループのDr.#1が回診にいらした時、進む症状に不安たっぷりの私に「どんどん動かなくなっていくよ。呼吸管理までしなきゃならないところまで行くこともある。」とキッパリとした口調で仰る。(つまり、自力で呼吸できなくなってしまうかもしれないということね・・・。)
しかし先生は最後にポンポンと私の足を2回たたきながら「でも治るから。じゃがんばってね。」との一言を添え、グループのDr.にベッド上のリハビリなどの指示を出しながら部屋を出て行かれた。
不安な患者にどんどん動かなくなるなんて言うか?と思われるかもしれないが、最後の一言の威力は大きかった。「治る」とキッパリ言われるっていうことは、どんな言葉をかけられるより心強いかもしれない。
この頃、男手だけの我が家メンバーだけではやはり無理...と思った私は、近くに住む叔母に応援を頼んだ。
ついに私がとんでもない病気になったらしいと、あっという間に親戚中に知れ渡った。恐るべし女キョーダイの連絡網(笑)
しかし叔母も仕事を持つ身、何日かおきに訪ねてくれるだけではあるが、女性でなくては気づかない事も多々あるもので、非常に助かった。
ナースコールのボタンを押すなどという芸当は全く出来なくなっていたので、ペダル式のコールボタンを手元においてくれたのはこの頃だったように記憶している。
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